蚊取り線香って、全然蚊を取ってくれてないけど、香りは好き。
突然ですが、蚊取り線香ってどう思いますか?
夏の匂い
夏の匂いと言って思い出すのは初夏なら青臭い草の匂いや、生ゴミみたいなカブトムシの匂い。突然降る夕立の水の匂い。コンクリートの焼ける匂い。など色々あるが、蚊取り線香の匂いは強烈な夏の匂いではないだろうか。
特に日が暮れて、宵闇が近づくシーンがありありと目に浮かぶ。なぜか寂しいような気もして、秋の訪れも感じる。
今は古民家に住んでいるのだけど、この古民家が出るのだ。。
出ると言えば幽霊かと思う方もいるでしょう。しかし賢い読者様はお気付きのはず。
そう、蚊がめっちゃ出る。
夕方から夜にうじゃうじゃ蚊が出る。
なぜ、蚊は顔は刺さずに足ばかりを狙うのだろうか。女王蚊に「顔はやめな、ボディにしな」的な指示でも受けてるのだろうか。昔のヤンキーかな?
ポケモンGOじゃないんだから
蚊も生物の逃れられない宿命、種の保存という絶対的課題をクリアするために、人間の血を吸わなくてはいけないというのは重々承知である。
人間が動物の命を頂くように、植物の命を頂くように、生きとし生けるものすべてはお互いに生命のやり取りをしていることは存じ上げている。
しかし
しかし、
いくらなんでも吸いすぎやしませんか?
ここ、レアポケモンめっちゃ出るぜ!ばりの勢いで蚊が集まってきている。ポケモンGO的なノリで人間の血GOみたいなやつかな?
お香は炊いてないよ?蚊取り線香を焚いてるんだよ?
取り乱すレベルで刺されている。
最近蚊取り線香を使っていて感じたのは
蚊取り線香って、全然蚊、取ってなくない?
名前が蚊避け線香なら大目に見るが、蚊取り線香という名前にしている以上、取ってくれよ。蚊をしっかり取ってくれよ。
モンスターボール投げてでも良いから、蚊を取れ!!
結局蚊取り線香が名前倒しのおかげで足がボコボコになるまで刺されている毎日です。
ただ、そんな蚊取り線香、香りは良いのだ。蚊取り線香の唯一の自己PRは香りではないだろうか。夏の終わりの香りがする。おじいちゃんの家の匂いがする。
拝啓
おじいちゃんへ
ご無沙汰しております。お元気ですか?私は蚊に刺される毎日を乗り越えるという苦行を達成することによって至る悟りの境地を目指して頑張っています。
この季節になると、おじいちゃんと指した将棋を思い出します。蚊取り線香を焚いていた香りが記憶をくすぐるからでしょうか。私が棒銀を覚えた頃からいつも勝ってしまうようになったけど、それでも楽しそうに将棋を指してくれたことが良い思い出です。
しかし、これだけは言いたいです、
将棋指しても、蚊は人を刺すな。
語呂が悪いなどの苦情は受け付けておりません。
まだまだ暑さ厳しいこの頃ですが、お体にお気をつけてください。
敬具
誰かの言葉にしたり顔で頷いてないで自分で体験すべきって話
自分の経験を、自分の言葉で語る必要がある。
いるんですよ、引用ばっかりの人って。「ホリエモンがゼロベースで考えろって言ってたから」「シェイクスピアは時というものはそれぞれの人によってそれぞれのスピードで走るものなのだって言ってたから」って、誰かの言葉ばかり借りる人。虎の威を借る狐ですよ。
人の言ったことを言っていてもいいんですよ別に。もしかしたらその言葉が役に立つかもしれないですから。でも相手の心に響く可能性は低いんじゃないかな。
レポートで言うならカッコで引っ張ってきた文章が多くて、文字数を引用元で稼ぐみたいな。「それ、あなたは何も言ってませんから!!残念!!」みたいな。
人の言葉を借りると、それは丁寧に選ばれていて、過不足なく適切にメッセージを伝えている一文になるんだけど、重みがないんだよな。
「@@はこう言った、私はこう思う」ならメッセージもありますが。
あ、論語の悪口ではありません。
頭の言葉
頭から出てる言葉と、体から出てる言葉と、心から出てる言葉ってあるじゃないですか?ありますよね?僕はあると思う。
引用文って、頭から出てる言葉なんですよ。知識でしかない。知ってるけど、体験を伴ってないから、臨場感がなくて、言葉の言い換えもできない。
身体の言葉
身体から出てる言葉だとそれができる。体感したことを語るなら、"その言葉"じゃない可能性だってあるわけですよ。「あ、この人にはワクワクより、ドキドキの方がいいな」とか。
心の言葉
あと、心から出てる言葉っていうのは、もしかしたら他人から見ると突拍子もないような言葉なんだけど、自分の中ではきちんと結びついてて、無意識の時でも言っちゃう。芯みたいな部分。
本ばかり読んで知った気になってる頃は分からなかったけど、体で知ってる人は強いよ。ブレない。
頭で入れた知識なんて、すぐに揺らいじゃう。自分の感覚じゃないから。
感じ方は人それぞれって言うけど、本当に人それぞれだから、本の言葉とか、ネットに落ちてる言葉とかを読んで納得した顔をしてないで、自分の足で見に行って、自分の体で試してみたほうがいい。
誰かの体験なんてそこらじゅうに溢れているからいつでも読めるけど、自分の体験は自分だけのものだよ。
そんなことを最近考えていた。自省。
最近飲んでるサプリはスピルリナとビタミンCです。結構体調良いと思う。
こんばんは、かみゅです。
一人暮らしで節約していると、どうしても食費を削りがちです。
最近気づいたのは、おなかが空いても、ほっておくと空腹なのを忘れてしまって、夜だけ食べるみたいな生活が全然できてしまうのです。
こりゃあかん。
活動するためのエネルギー補給には、まとめて炊いて冷凍しておいたご飯で茶粥をつくったり、バナナ豆乳を飲んだりしているんですけど、やっぱり健康第一なので、栄養バランス悪いなーと思って、1か月くらい前からサプリメントを飲み始めました。
スピルリナ100% 【2000粒+400粒増量】1粒200mg(約2ヵ月分)
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と
【1kg】高品質ビタミンC粉末100%(L-アスコルビン酸)(計量スプーン付)
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です。
スピルリナを飲んで、カップラーメンをブロックした話
スピルリナの方は、タンパク質、アミノ酸、ビタミン、食物繊維などが豊富で、アルカリ性の食品なので、身体を健康に保ってくれるということを聞いて、買ってみました。
これを飲んで分かるのは、腸の調子がいいということ。
けっこう、飲むのを忘れがちな自分のために書いておくけど、スピルリナを飲んでいる時は、身体が軽い気がする。
前にびっくりしたのは、食事を作るのがちょっとめんどくさくて、カップラーメンで済ませようとしたんですよ。辛いのが好きなんでトムヤムラーメンみたいなやつ。おにぎりをいれて食べればとりあえず命は持つだろ!なんて思って。
そしたら、食べた瞬間からおなかがすごい勢いでギュルギュル言い出して、「え?」さっきまで空腹できゅうきゅう言ってたやんけ!みたいな。「なにを怒り出していらっしゃるのか!!静まれ!!静まれい!!」って。
慌ててトイレに駆け込んで、あ、すみません汚い話で、下痢を排出したらふつうに元気になりました。
後で調べてて、たぶん分かったのは、身体が毒素だと認識して、ブロックしたってことなんでしょうね。すげースピルリナ。ありがとうスピルリナ。今までカップラーメンふつうに食べてきたけど、身体次第ではこれだけ危険物質になり得るんだね。
ビタミンCを飲んでいる話。
ビタミンCについては、栄養学的にはめちゃくちゃ大事で、なぜかというと人間はビタミンCを体内で合成できないから、食事で摂取する必要があるということだそうです。
お茶にもビタミンCは豊富と言われているから飲んでいるんだけど、一日の摂取量には足りないし、果物は高いし、野菜のビタミンは加熱で壊れてしまうらしいので、じゃあ飲むかと。
現実的なところ、最近は水分補給としては水かお茶くらいしか飲んでいなくて、たまにジュースも飲みたくなるけど、糖分が多いせいか飲んだ後しばらく体がダル重になってしまうから控えているんです。でも暑いからスッキリしたいよーと思って、ビタミンCを水に溶かして飲んでいます。
実質的な値段
節約してるのにサプリは買うのかよって話なんですけど、
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スピルリナは2400粒で、1日当たり40粒が適量だから、60日飲める計算になって2116円/60日で1日当たり35円!高給もやしと同じくらいじゃないか?うちの近くのイトーヨーカドーは若干物価が高いのか、50円くらいのもやしも売っていた気がする。最安値でも27円。千葉はもっと安かった!!!
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ビタミンの粉末なんて、1キロでAmazon特価1580円だから、1日小さじ1杯1gで1000日分1日あたり1円って。。
最後に
プラシーボ効果ってやつもあるので、一概に効果があるかはわからないけど、僕は今これらのおかげで健康的な生活を送れているので良しとします。
別に毎日質素な食事をしているわけではなくて、適度に魚とか肉も食べてるんで!
後お茶飲んでるし!お茶最高!
今日は以上です。
学生最後の時間を目いっぱい遊ぶぞ!と思っていたら体調不良と卒業できない不安とでめちゃくちゃ落ち込んだって話
今回思ったことを一言で表せば心と体はつながっている。ということである。
年始明けに体調を崩してからというもの、自分でも驚くくらいに元気がなくなった。
勢いでいえばあの山道を転がり落ちていったという有名なおむすびもかくやというくらいの転げ方で気分が落ち込んだ。
37度の微熱が続き、声を出せば咳が止まらず、体は重く動く気力もわかない現状は年末から年始にかけて遊び歩いていたことが原因なのは明白だった。
年末年始
年末のカウントダウンジャパンでは全身が筋肉痛になるくらい飛び跳ねたし、キャッチボールでは汗でびしょびしょになるくらいに動き回って、声が酒焼けするほど忘年会で日本酒を飲んだ。二日酔いどころか三日酔いくらいだった。抹茶をけっこう飲んだつもりなんだけど絶対的な水分不足のせいか頭痛がおさまらなかった。
大晦日から年始の神田明神では初詣のおみくじで末吉をひいて、明治神宮でもおみくじをひいた。渋谷の初売りではオシャレに一家言ある友人にコーディネートしてもらって服を買った。最後の学生生活だからという気持ちもあったのかもしれない。割と出不精な僕としては珍しく毎日遊んでいた。ちなみに普段は何をしているかというと一人で本を読んだり、ネット将棋を指したりしている。
体調を崩してから
多忙(笑)な年末年始が嘘だったかのように体調を崩してからというもの、午前中は丸々寝ているし、起きても布団もたたまず、即席で作ったて適当なご飯を食べて、水分補給をしてまた寝るといった具合だった。ナマケモノでももう少し動いているのではないかというくらいに動かなかった。
さらに言うとわりと自分は意識高い系の人間だと思っていて理想の自分がそこそこ高いのだが、日常のタスクもこなすことができなくなって自意識も下がるという副作用。
もうすぐ社会人人なる身としては、親に養ってもらええている学生という身分だからこそ体調不良を理由にして暇をむさぼっていられるけどこれも最後になると思えば味わい深いものだと思ったりなんかしていた。
とはいえ体調を悪化させたくないため外に出るわけにもいかず、ひまを持て余しているので適当に本棚から選んだ本を軽く読んではやめるというのを繰り返していた。これでは自宅警備員も満足に務まらない体たらくである。お小遣いという名のお給料をもらうのも忍びない。
自堕落な生活をしていると当然部屋も汚れてくる。掃除をする気力も湧かない。これ、もう少し後で気づいたけど、部屋の乱れは心の乱れだからな、テストに出るよマジで。
それで布団から出ない寝たきり老人のような生活をしていて気づいてしまった。振替授業をさぼってしまったことに。
体調が悪かったからそりゃあ仕方ないんだけど、気持ちとしては休みたいに一票だったわけだけど、休んじゃいけないデビルマンだったわけですよ。なんせ卒業がかかってますから。これを休まずとも出席日数が足りてるのかわからない。というか調べたらもはや既定の出席日数分出席できてない?WHAT?みたいな。え、これ卒業できなくないですかって。
とりあえず現実逃避で夢の世界へ逃げ込みましたけども、現実はこっちの世界なわけで。
やべー体調悪いー
やべー部屋汚いー
やべーやりたかったことできてないー
やべー卒業できないー(深刻)
という。あと漠然とした社会人になる不安がね。そういえば「先輩に社会人になるの不安なんですけど」と相談したら「お前でも不安になるのか!」と言われました。そりゃねーぜ!俺だって人並みに不安だぜ!つって。
そんでそろそろ深刻にメンタルがやられてきたわけです、これ、わかる人はわかると思うんですけど、落ち込んでるときってマジで人と接したくない。たぶんいろんな理由があって、弱ってる自分を見せたくないとか、相手を不快な気持ちにさせたくないとか、そもそもコミュニケーションがおっくうだとか。そういう理由でとりあえず連絡を取りたくない。
するとさらに落ち込む。
ほら、人間という字は人の間と書くのだ。つまり人と人との間に関係性があって初めて人間になるんだぞ。人間は社会的な生き物だからな
と、僕の中の鈴木先生が言ってるんですけど、やっぱり人とコミュニケーションンを取らないでいると、自分が世の中にとって不必要な存在だと突きつけられるようで悲しみのサッドネスですよね。ていうか自業自得なんだけども。
モチベーションが床すれすれまで下がりきってしまったのでなんとか元気にしたいと思うものの思わぬ罠が。
自分ってダメな奴だなあという自意識が意外と心地いい
”ネガティブな自分でいることの快楽と”呼ぶことにしたんですけど、これはなんなんだろうね。カサブタをはがすと痛気持ちいいとか、抜けかけでグラグラの乳歯をベロで押すと痛気持ちいいというのと似てるんだよね。もう久しくない感覚だけど。
ポジティブでいる方が確実に得だと気づいてからはなるべくネガティブな思考を避けるようにしてきたのだけど、なかなかどうしてネガティブっていうのは一回はまると抜け出しがたい。まるで蟻地獄か。
そして気持ちが沈んでいるときは行動も鈍るから負のスパイラルが完成。どれだけ落ち込んでんだって、物理的に言えば地球を貫通してブラジルまで届いてるんじゃねえかっていう。ブラジルの皆さん聞こえますかー!
そんなこんなで、今回は年始明けに落ち込んでたという話をしました。
今ブログを投稿できているのは元気になったからで、なぜ元気になったかとかその辺はまた書きます。
クリスマスはミサに行った。
タイミングを逃したけどふと思い出したので。
昨年のクリスマスイブはカトリックのミサに行ってきた。
クリスマスと言えば街には綺羅びやかなイルミネーションが飾られて、クリスマスソングが流れて、クリスマスケーキを食べるのが当たり前になっているよね。
少し田舎の方、というか実家(千葉)に行くと田んぼ道に必要な明かりすら無かったりするのに、なんて無駄な電力を使っているんだ。。なんて思ったりしてるわけですが、これも経済効果が。。
でもそもそもクリスマスってchrist masって綴りで、キリストの生誕祭を祝う行事なわけじゃないですか。祝ったこと無いなーなんて。
ただ僕は、キリスト教が茶道にも影響を及ぼしてると知ってから、ミサに参加してみたいと思っていました。お茶を回し飲みするのはキリストが「これは私の血です」と言って葡萄酒を回し飲みさせたところから来ているとかね。
だから、ミサとか行ってみたいんだよねーなんて話を友人にしていたら「よかったら行く?」と誘ってくれたのが事の顛末。話してみるものだなー。
地域の住民が参加するようなミサを開く教会に行ってみると、意外と人がいて100人位は集まっていたんじゃないかな。空気はシンと引き締まっていて、その緊張感に赤ちゃんが泣き出したりしていた。
高校生くらいの女の子や、ダボダボのスウェットを着たやんちゃそうな男の子もいたりして、なんだかほっこりした気持ちになった。僕は22歳にして初めてなのに偉いなあと。偉いとか偉くないとか言う話ではないとは思うのだけどね。
賛美歌を歌ったり、司教様のお話を聞いたりして、1時間ほどで終了。
授業でキリスト教を学んだりして、家の本棚にも聖書はあるけど、普段自分から読もうとは思わないから、こういう機会があるとキリスト教にも興味が向くなあと思った。
茶道との共通点は、しいて言うなら、司教様が飲み終わったワイングラスを拭うところとかは所作が似ていたかなと言うくらいだった。クリスマスだけに来てもよく分からないね。
ミサに参加するクリスマスもいいものだった。
離れている人への近況報告代わりにブログやtwitterを使うということ。
昨日のこと。「今どこいる?」と連絡が来て、たまたま近い場所にいた友達に会っておしゃべりしていたら、最近ブログ書いてないねーと言われてしまった。
たまにチェックしてくれているんだなあという嬉しい気持ちと、更新頻度が落ちていたことへの後ろめたさを感じた。
近況報告という意味での情報発信については年末に感じたことがある。
高校の頃の仲間とキャッチボールをした時友人に「前はもっとツイートしてたのに最近控えめだからさみしいなあ」ということを言ったら、ツイートを増やしてくれた。優しくて素直な友人だ。
そして友人のツイートを読んでいて、「友達が最近何をやっているのか」というのは案外気になるものだと気づいた。
学校に通って、毎日顔を合わせていた時は自然と話していたことでも、学校が違えば連絡も取らなくなって、会う機会も減った。
便りがないのは元気な証拠というけれど、元気でやっているか、毎日楽しんでいるかがわかるとやっぱり安心する。
20歳を過ぎた頃からは、死に向かっていく意識も少しずつ大きくなっていくものだ。新年早々から縁起でもない話をしたくはないけれど、身近な人も旅立つ人が増えてくる。幸いなことに、自分の身近にはいないが、友人が亡くなってしまったというのは珍しくない話になってきた。病気や事故で突然会えない人に、、と聞くと無関係ながらも寂しい気持ちになる。
親もたしか今年で49になる。老眼も進んで本が読みづらくなったと嘆いている。今は実家にいるから毎日顔を合わせるけど、今年からは職場の近くに引っ越しするつもりだから、家族とも会うのは年に何回かになってしまうなあ。
あ、これも年末のことなのだけど、親戚と集まって忘年会をした時に、父親が僕のブログを知っているかのような発言をしていた。別に隠したいようなことを書いているわけでもないけど、親に見られるのって気まずいものだよね。
ただ、思ったのは、ブログやtwitterのSNSを日記代わりに書いておくと、定期的に会わない人への近況報告代わりにもなっていいなあいうことです。