【禅語】喫茶去。なにかに囚われてしまっている時、お茶でも飲んでみませんか。

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茶道で大事にされている禅語「喫茶去(きっさこ)」の話をします。

 

趙州という、中国唐代の高僧として名高い僧がいました。

 

そんな趙州に教えを乞おうと色々なところから勉強熱心で真面目な僧がやって来ました。そうすると趙州と問答をします。

 

趙州「あなたは以前ここに来られたことがありますか?」

僧「いいえ、初めてです」

趙州「喫茶去(どうぞお茶を召し上がれ)」

 

とお茶をすすめるのです

 

また、別の僧が来た時に

 

趙州「あなたは以前ここに来られたことがありますか?」

僧「はい、二度目です」

趙州「喫茶去」

 

その様子を見ていたお寺の院主さんが

 

院主「趙州和尚は、初めての方にも、何度かいらした方にもお茶を勧めますが、どういったことなのですか?」

 

と聞くと

 

趙州「喫茶去」

 

と言われ、院主さんは悟ったそうです。

 

これはつまり、一度目や二度目といった数や、徳が高い低いといった価値観、さらには過去現在未来といった時間、そういった、何かを分ける意識を断ち切った絶対の境地にほかならないのだと。

 

茶道では、この「無心」でお茶を点て、飲んでもらうということを大切にします。

 

貴賤貧富も、老若男女も、自他も好き嫌いも問わず、誰に対してもただ無心で真心から接していきたいという気持ちの現われです。

 

良いとか悪いとか、偉いとか偉くないとか、そういう常識に囚われてしまいそうになった時、お茶を飲んでみるといいかもしれません。