経験することがあなたの最大の武器になる。

先日、お茶会のお手伝いとしてアルバイトをしていた時におしゃべりした友人が「めちゃめちゃ頭を使って生きてるなあ」と驚きを与えてくれた。

 

友人の分析

具体的なところを挙げると

・自分の行動や言動に論理的な説明ができる

・合理的かつ計算高く行動することができる

・将来を見据えて今やるべきことに取り組んでいる

・ある程度成果を出してきている

といった点に尊敬を覚えた。

 

友人の話

過去の話を聞いたので、簡単にまとめると

 

・中学時代から身体能力が非常に高く、陸上推薦で高校に入学した

・高校時代には勉強はほとんどしなかったため、大学に行くこと無く卒業してしまったのだけど、やはりバカはよくないと思い大学にいくことを決意した。

・大学受験をするためのお金はネットビジネスで稼いだ。

・大学受験のために必死で勉強して偏差値を35から65まで上げた。

・将来は個人売買程度ではなく大きな取引をするために、経営学や経済学を学んだ。

・ひとり暮らしをするためにアルバイトでまかなっていたが、様々な経験をしたいと思って、色々なアルバイトをした。

・肉体労働として解体業社で働き、経済的、家庭的に恵まれていない人も多く、一生懸命働いている姿を見て自分がいかに恵まれた環境に甘んじていたかを思い知らされた。

・塾講師をして、人にわかりやすく物事を説明する能力を身につけた。

・飲食店の接客をして、人に対する振る舞いを身につけた。

・飲食店の調理担当をして、自分で料理を作れるようにした。

 

というようなことをその友人が話してくれた。

 

人は経験から学ぶ

僕自身、よく考えて行動するタイプの人間だったと思っていたのだけど、これは

けっして勝ち負けなんかではないのに、この友人には負けたなーと感じた。

 

そしてこの友人の話から僕は、人は経験から学ぶ事が多いのだ。と結論づけた。

 

考える力

 

そして、そんなことを思った矢先、ちきりんさんのブログを読んでいて、まさにこのテーマにぴったりな記事を発見した。人は、自分が欲している情報に出会うようになっているのだろうか。

 

d.hatena.ne.jp

 

考える力の弱い人へ。というやや煽動的なタイトルの記事。これはなんというかちきりんさんが言うと読者はバカにされていると感じるに違いないのだけど、わざとねらっているのだろうか。。

 

ちきりんさんによると

 

考える力には(生まれつき)個人差があります。

他の能力と同じように、つまり、走る力とか、歌う力とか、香りを嗅ぎ分ける力などと同じように、生まれつき、それが得意な人と下手な人がいるんです。

 

そしてどの力も同じですが、誰でもきちんと方法論を学び、かつ実践練習を重ねれば、ある程度は上達します。

でも、スタートラインは人によって違うし、ポテンシャル(学んで練習すればどこまで伸びるかという可能性)も人によって違います。

つまり、考える力が高い人と低い人が(あらゆる能力について、その能力が高い人と低い人がいるように)いるってことです。

 

考える力が弱い人がその力を伸ばすには、『 自分のアタマで考えよう 』 に書いたように、「考える方法論を地道に学び、それを何度も実践で使って練習する」のが王道ですが、実はもうひとつ、別のアプローチもあります。

それは、できるだけ他の人と違う経験をする、ってことです。

そうすることにより、相当程度、「考えた結果」のレベルを底上げできます。

 

とある。

 

まさに「経験する」という部分に着目している。考える力を養うことと、経験することは大きく関係するということ。

 

まとめ

個人的には「他の人と違う経験」と限定する必要はないかもしれないと思っているのだけど、より多く、より特別な経験をするに越したことはない。

 

経験をするというのは、半強制的に体を動かすことで、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、場合によっては味覚の五感が刺激され、否が応でも頭を使って考えざるを得ないという側面がある。その場その場で考えながら環境に適応しようとするのだ。

 

その結果、考えた結果の底上げもされるだろうし、考える力が飛躍的に上昇する事にもなる。

 

そういえば、最後まで読んでないのだけど、寺山修司の「書を捨てよ、町へ出よう」とか「家出のススメ」とかはこの「経験」を勧めている本でもあったはずだ。

 

様々な人と出会い、様々な経験をする中で、自分とは何者なのだろうか、自分はどう生きたいのか、そういったことに向き合いながら生きる人はかっこいい。

 

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)