ひもじい、寒い、もう死にたい。不幸はこの順番でやってくる
豊かな表現力を身につけるには、便利な言葉を禁止してみるといい
「美味しい」という言葉を禁じると、美味しさを表現するための言葉や感覚が豊かになっていく。「豊かな表現」みたいなものは、獲得を強要するよりも、一番便利な言葉を禁じるとうまくいく。いつか読んだ言葉で、なるほどと思い、メモしていた。
畳の縁を踏んではいけない理由
畳の縁を踏んではいけない理由は諸説あるのですが、一つでも知っていたら、納得できることもあると思うので、2つ紹介してみます。
床下に敵が忍び込んでいて、畳の縁の隙間から刀を突き刺してくるかもしれないから
なにをバカなことを言っているのかと思うかもしれませんが、床下に敵が忍び込んでいて、畳の縁の隙間から刀を突き刺してくる可能性があるので、畳の縁を踏んではいけないのです。
戦国時代や江戸時代は日本中の家が畳だったのだと思う人もいるかもしれませんが、そんなことはなくて、実は板の間が主流でした。畳は手間もかかるし高価だから。
だから、裕福な商人や武将しか畳を敷くことはできなかったのですが、そんなお金持ちになると、命を狙われることもあります。
忍者は床下に潜んでいて、この畳と畳の隙間に刀を差し込んでおいて、上を通った時にエイッと突き刺すのです。
縁を踏んでいると、足を刺されてしまいますが、縁を踏んでいなければ、かろうじて避ける事ができます。
なので、縁を踏むと暗殺者に刺されるので、縁は踏まないようにしましょう。
踏むことによって縁の色が落ちたり、劣化が進む。
畳の縁は、畳の中の部分と違って、染めてあります。今となっては染めるのも安価になったところはありますが、当時といいますか、江戸時代とかは高価なものだったのです。
縁を踏んでしまうと、染めている色が落ちてしまいますし、端の部分であるため傷みやすくなっています。
長持ちさせるために、縁は分ではいけないと教えていました。
なので、長く、大切に畳を使用するために、畳の縁を踏まないようにしましょう。
まとめ
たいした理由じゃないじゃないかという人もいるかもしれません。
今のところはこの理由が説明しやすくて、納得しやすいので使っているのですが、もっとこんな理由もあるよという方がいたら教えていただきたいです。
人は、行動だけしなさいと言われてもなかなか難しいものです。
理由があって、納得して初めて行動もできると場合もあります。
そうでなくとも、理由を知っていると、忘れにくいですよね。
与えることでお金持ちになれるし幸せになれる。
ぼく「お金もちになる人ってどんな人なんだろうねー」
友人「お金持ちになりたいわ-」
友人「そういえば、この間思ったんだけど、うちの近くの商店街の先に、酒屋さんがあるのね」
ぼく「うん」
友人「その酒屋さんはタバコも売ってて、そこで俺はタバコ買うんだけど、その酒屋さんの前に小さい広場があって、灰皿を置いてるのよ」
ぼく「へえー」
友人「自分の敷地においた灰皿を、どうぞご自由に吸ってください-ってやってて、器広いなって思ったね」
ぼく「たしかに。なかなかそんな人いないね」
友人「で、思ったのは、やっぱり、お金持ちになるには、譲与してることって大事なのかも」
ぼく「与えることか」
友人「そう」
ぼく「たしかに、人として何かしらの価値があって、その価値を人に提供してるからこそ、お金という目に見える形で返ってきてるだけなのかもね」
友人「でしょ」
ぼく「うん」
友人「そこのおばちゃんすごくて、灰皿を綺麗に掃除してるところに近寄ったら、ニコニコしてどうぞゆっくりしていってね~って言ったの」
ぼく「はー、それはすごい。優しい」
友人「器の小さい人だったらさ、ここは私の土地だから勝手に使わないでよね!ってなるところを、このおばちゃんは、どうぞーっておおらかに、むしろ積極的に与えてくれてるの」
ぼく「なるほどなあ」
友人「そりゃお金持ちになるでしょ」
ぼく「わかった。お金持ちになる人って、なるべくしてなってるんだな」
友人「そのとおりだ」
ぼく「なんだっけな、誰かの名言なんだけど人付き合いというのはギブアンドテイクではない。ギブギブ、そしてギブだっていうのがあって。だれかは忘れちゃったんだけど」
友人「ギブアンドテイクではない」
ぼく「与えるだけだってこと」
友人「なるほど、相手にはテイクを求めないのか」
ぼく「そう、与えて、与えた結果として、リターンが来る。リターン目的ではないんだけど、結果的に自分に返ってきてるみたいな。言葉にすると難しい」
友人「わかる」
ぼく「そういえば、人間関係で、前は優しくしたり助けたりしたら、見返りがほしいなって思っちゃってたことがあったんだけど」
友人「うん」
ぼく「そういう時って、お礼も言われないとか感謝されないとか思ってイライラしちゃったりしてたのね」
友人「感謝されたいよねー」
ぼく「でも、ふと気がついて、感謝されたいとか思わなくなったら、なんかすごく満たされた気になったし、たまに感謝されるだけですごく嬉しくなった」
友人「たしかに。感謝されたいと思うと、感謝されてない今を引き寄せるから、満たされないってことだね」
ぼく「そうだそうだ。感謝されたいと思わないってことは、感謝がもう自分に満ちてるってことだから、不足がない幸せな自分でいられる」
友人「いいね」
ぼく「だからあれだね、お金持ちになるには、まず見返りを求めずに与えなきゃだね」
友人「お金持ちになるってリターンを考えてもダメかもだけどね」
ぼく「あ、そうだった」
ぼく、友人「与えよう」
抹茶好きが伊藤園の振ってつくる抹茶グリーンティーを飲んだら、予想と全然違った味だったけどおいしかった。
日本最大級のお茶メーカー伊藤園さんが出している、振ってつくる抹茶グリーンティーを飲んでみました。
というのも、早起きしてバイトに行かなければいけない日が続いて、午後に眠気が襲ってきてしまうので、なんとかして目をスッキリさせたいなあと思っていたからです。
個人的にレッドブルとか、モンスターは、カフェインが一気にガッときていかにも寿命を燃焼して今に持ってきている感じがするから苦手なのです。
いつもは目を覚ましたい時は抹茶を自分で点てて飲んでいるのですが、外ではなかなか点てるのも難しいので、今は持ってきていません。そうは言っても抹茶には信頼を置いているので、職場の近くの自販機で見つけたこの抹茶グリーンティーを買ってしまいました。
想像していた抹茶とぜんぜん違った…あまい…おいしい…複雑な気持ちだ… pic.twitter.com/YBugYjQT9y
— かみゅ (@kamkamkamyu) October 7, 2015
和の心とはなにかについて考えてみた。
茶道をしていると、ひんぱんに耳にしたり口にしたりする、「和の心」や「和の精神」と呼ばれる感覚について、言語化できるように考えてみました。
和の文化とは
人と人の和
千利休の和敬清寂の「和」
結論
会いたいと思ったら電話をするのがいい。twitterでリプライをするのではなく電話をかけよう。
SNS社会になってきて、twitterなどではフォローしている人には気軽にリプライでコミュニケーションをとることができる。便利で、まるで相手との距離が縮まったようだと思ったこともあった。
でも、twitterで会話をしても、感覚的に、大勢の中で二人で話している感覚がある。その会話は二人をフォローしている人から見られるし、時にはその会話に誰かが参加することもある。
そういった会話も楽しいといえば楽しい。
ただ、最近ふと思ったのは、そうやって簡単にコミュニケーションが取れるようになったからこそ、やっぱり電話っていいものだ。ということ。
電話の良さ
電話の良さというのは、声が聞けるところにあるのだけれど、声を聞くことによって、その人を身近に感じることができるし、声のトーンで文面上よりも心の機微に寄り添った会話ができる。文章だけ見て、気持ちがうまく伝わらずに喧嘩になってしまうというのはよくあることだから。それに、声を聞くと安心する。
人の感覚器官における情報の受け取りの割合は目からの情報が80%で、耳からの情報は10%程度だと言われている。
しかし、瞑想をした時などに思い当たるのは、目を閉じて、目からの情報を遮断した時のほうが、周りの音に敏感になることで、自分を取り巻く環境をよりリアルに、鮮明に感じることができる。あ、鳥が鳴いているとか、葉の擦れる音が風を感じさせるとか。
それに、目はせいぜい前方170度程度しか見ることができないが、耳は自分を取り巻く360度の音を聞くことができる。
そういったところから考えてみても、自分を温かく包んでくれるのは、目からの情報ではなく、耳からの情報ではないだろうか。
リアルのコミュニケーション
というわけで僕は、最近は友人と話したいと思った時は、電話を掛けることが増えてきた。
思い出したけど、昔なんて家の固定電話にかけて「ケンタくんいますかー?」ってケンタくんのお母さんに取り次いでもらわないと電話できなかったのに、今では誰でも携帯電話持ってるんだからそれだけでも思い返してみたら凄いことだと思う。10年前の話。
ネット上のコミュニケーションが簡単で、楽で、活発になってきた時代だけど、それは人と人との距離を近づけたようでもあり、遠ざけてしまった気がする。
仮想のコミュニケーションが盛んになったからこそ、リアルのコミュニケーションが希薄になり、求められると思う。
SNSで一本言葉を送信するより
電話を掛けよう
もっと言えば
電話を掛けるより
今度会おうよ