三番茶を摘みに、東京から岐阜県揖斐郡春日村まで行ってきた。

先週、金曜日の夜から日曜日の夜にかけて、二泊三日の茶摘み合宿に行ってきました。これがいわゆる弾丸ツアー。

 
知り合いの車の運転で、片道を約6時間かけて岐阜県揖斐郡の春日村まで。
 
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秋の十月は三番茶が取れるのだそう。
 
基本的にお茶は一番茶、二番茶、三番茶と呼ばれていて、一番茶は新茶のことで、一番栄養があるのが一番茶。三番茶は市場価値もそんなに高くはないです。
 
ただ、三番茶を採る時に新茶のレベルが決まったりするので、結構大切な時期だったりします。
 
 
しかしこの春日村はもともとお茶の栽培が盛んな地域だったものの、高齢化や地方の過疎化が進んで、お茶の栽培を継ぐ人も少なくなり、お茶の木が生えっぱなしになっているとのこと。
 
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在来の茶の木なので特に伸び放題でぼうぼうになっている。
 
その茶畑の一画を、知り合いが譲り受けて、年に4回くらいやってきて手入れをしているのです。
 
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これは品種改良した茶の木なのだけど、手入れをするとこんな感じに綺麗に生える。

 
茶は、木の上の方にある、新芽を摘む。一針一葉と言って、一枚の葉と芽があるのが理想的で、高級なお茶になる。
 
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そういえば、お茶は栄西が著した喫茶養生記に
茶は養生の仙薬なり。延齢の妙術なり。山谷これを生ずればその地神霊なり。人倫之を摂ればその人長命なり。天竺、唐土、同じく之を貴重す。我が朝日本、また嗜愛す。古今奇特の仙薬なり
と書かれている。
 
仙薬と呼ばれているだけに、山あいの、朝と夜には霧が出る、本当に仙人が住んでいるのではないかと思われる場所に生えていた。
 
現代はさすがに電気も通っていて、道も整備されているが、昔であれば神霊の地であると言っても過言ではなかったのだろう。
 
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さらに余談になるが、美味しい茶が育つためには水も大切で綺麗な水が湧き出ている。
 
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ペットボトルで汲みに来ている人もいて、飲んでみたけど、冷たくて美味しかった。
 
そんな湧き水で育てられた茶は、綺麗な花を咲かせる。
 
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茶はツバキ科なので、たしかにツバキの花に似ている。木の見た目以上に大ぶりな花だった。
 
摘んだ茶は籠にまとめて、後で加工します。
 
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紅茶の簡単な加工方法はまた後日に。
 
 

ひもじい、寒い、もう死にたい。不幸はこの順番でやってくる

寒いし、お腹がすいたし、ねむい。

最近、冬の匂いがしていたと思ったら今日はいきなり寒い。雨も降っていて冷え込んでいる。

最近、睡眠時間を削っていたせいで朝は家を出るギリギリまで寝ていて、ご飯を食べる時間がなかった。しかしねむい。

悲しみの3拍子が揃ってるよーと嘆いていたら思い出した。

じゃりんこチエの漫画のワンカット。

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人間に一番悪いのは腹がへるのと寒いということですわ

ひもじい寒いもお死にたい。不幸はこの順番で来ますのや

妙に説得力があって覚えていた。

青森出身の先輩が言っていたけど、温暖な地域より、寒冷な地域の方がうつ病の発症率も高いし、自殺率も高い。

寒くて太陽に当たらないとネガティブになるのだそうだ。

それに、あまりに寒いと食べるものも暖かい地方に比べて多くはない。

暖かい地方の方はたしかに楽観的な人が多い印象がある。沖縄の人はナンクルナイサーと、気楽に構えている。

寒い季節がやってきた。

死にたくならないように、ご飯は食べよう。


豊かな表現力を身につけるには、便利な言葉を禁止してみるといい

豊かな表現
「美味しい」という言葉を禁じると、美味しさを表現するための言葉や感覚が豊かになっていく。「豊かな表現」みたいなものは、獲得を強要するよりも、一番便利な言葉を禁じるとうまくいく。
いつか読んだ言葉で、なるほどと思い、メモしていた。

人の文章を読んだ時、この人は表現力があるなあと思う場合、同じ語彙を乱用していない。

例えば、春に桜を見に行くと「きれい」だとなり、夏に海に行って沈む夕日を見れば「きれい」だ。秋に紅葉を見れば「きれい」だし、冬の庭に降り積もる雪を見て「きれい」だと言う。

自分の中でおさめておく感覚であればそれでもいい、それぞれの「きれい」にふくまれる意味はまったく別物だし、一緒にいた人やその時の出来事によっても変わる。

しかし、人に伝えられる文章を書きたい、と思う時はダメだ。

春に桜を見に行くと儚く散る花びらが趣を感じさせる。

夏に海に行って水着の女の子はエロくてかわいい。

秋に紅葉は艶やかな紅の舞のようだ。

冬の庭に降り積もる雪は君の白い肌を思い出す。

え?全然豊かな表現ができていない?そんなこと言わないでください。これでも今の精一杯です。

日本に生まれてよかったと思うことの一つは、言葉に対して繊細なところだ。

言霊と言って、言葉には魂が宿るとも考えられるように、非常に大切に言葉を扱う文化がある。

平安時代には今よりももっと細かく色を分けて考えていて和色名 五十音順一覧:日本の色・和色
このサイトでは383色も紹介している。

言葉が増えることによって、自分の見える世界はより鮮明になると思う。テレビで言えば画素数が高くなるのと同じように。

ふと気が向いた時でいい、便利な言葉を禁止してみて、豊かな表現に近づいてみてはどうか。

畳の縁を踏んではいけない理由

日本家屋で、畳の上を歩く時に、縁を踏んではいけないと言われたことはありませんか?
 

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畳の縁を踏んではいけない理由は諸説あるのですが、一つでも知っていたら、納得できることもあると思うので、2つ紹介してみます。

 

床下に敵が忍び込んでいて、畳の縁の隙間から刀を突き刺してくるかもしれないから

なにをバカなことを言っているのかと思うかもしれませんが、床下に敵が忍び込んでいて、畳の縁の隙間から刀を突き刺してくる可能性があるので、畳の縁を踏んではいけないのです。

 

戦国時代や江戸時代は日本中の家が畳だったのだと思う人もいるかもしれませんが、そんなことはなくて、実は板の間が主流でした。畳は手間もかかるし高価だから。

 

だから、裕福な商人や武将しか畳を敷くことはできなかったのですが、そんなお金持ちになると、命を狙われることもあります。

 

忍者は床下に潜んでいて、この畳と畳の隙間に刀を差し込んでおいて、上を通った時にエイッと突き刺すのです。

 

縁を踏んでいると、足を刺されてしまいますが、縁を踏んでいなければ、かろうじて避ける事ができます。

 

なので、縁を踏むと暗殺者に刺されるので、縁は踏まないようにしましょう。

 

踏むことによって縁の色が落ちたり、劣化が進む。

畳の縁は、畳の中の部分と違って、染めてあります。今となっては染めるのも安価になったところはありますが、当時といいますか、江戸時代とかは高価なものだったのです。

 

縁を踏んでしまうと、染めている色が落ちてしまいますし、端の部分であるため傷みやすくなっています。

 

長持ちさせるために、縁は分ではいけないと教えていました。

 

なので、長く、大切に畳を使用するために、畳の縁を踏まないようにしましょう。

 

まとめ

たいした理由じゃないじゃないかという人もいるかもしれません。

今のところはこの理由が説明しやすくて、納得しやすいので使っているのですが、もっとこんな理由もあるよという方がいたら教えていただきたいです。

 

人は、行動だけしなさいと言われてもなかなか難しいものです。

 

理由があって、納得して初めて行動もできると場合もあります。

 

そうでなくとも、理由を知っていると、忘れにくいですよね。

 

 

与えることでお金持ちになれるし幸せになれる。

ぼく「お金もちになる人ってどんな人なんだろうねー」

 

友人「お金持ちになりたいわ-」

 

友人「そういえば、この間思ったんだけど、うちの近くの商店街の先に、酒屋さんがあるのね」

 

ぼく「うん」

 

友人「その酒屋さんはタバコも売ってて、そこで俺はタバコ買うんだけど、その酒屋さんの前に小さい広場があって、灰皿を置いてるのよ」

 

ぼく「へえー」

 

友人「自分の敷地においた灰皿を、どうぞご自由に吸ってください-ってやってて、器広いなって思ったね」

 

ぼく「たしかに。なかなかそんな人いないね」

 

友人「で、思ったのは、やっぱり、お金持ちになるには、譲与してることって大事なのかも」

 

ぼく「与えることか」

 

友人「そう」

 

ぼく「たしかに、人として何かしらの価値があって、その価値を人に提供してるからこそ、お金という目に見える形で返ってきてるだけなのかもね」

 

友人「でしょ」

 

ぼく「うん」

 

友人「そこのおばちゃんすごくて、灰皿を綺麗に掃除してるところに近寄ったら、ニコニコしてどうぞゆっくりしていってね~って言ったの」

 

ぼく「はー、それはすごい。優しい」

 

友人「器の小さい人だったらさ、ここは私の土地だから勝手に使わないでよね!ってなるところを、このおばちゃんは、どうぞーっておおらかに、むしろ積極的に与えてくれてるの」

 

ぼく「なるほどなあ」

 

友人「そりゃお金持ちになるでしょ」

 

ぼく「わかった。お金持ちになる人って、なるべくしてなってるんだな」

 

友人「そのとおりだ」

 

ぼく「なんだっけな、誰かの名言なんだけど人付き合いというのはギブアンドテイクではない。ギブギブ、そしてギブだっていうのがあって。だれかは忘れちゃったんだけど」

 

友人「ギブアンドテイクではない」

 

ぼく「与えるだけだってこと」

 

友人「なるほど、相手にはテイクを求めないのか」

 

ぼく「そう、与えて、与えた結果として、リターンが来る。リターン目的ではないんだけど、結果的に自分に返ってきてるみたいな。言葉にすると難しい」

 

友人「わかる」

 

ぼく「そういえば、人間関係で、前は優しくしたり助けたりしたら、見返りがほしいなって思っちゃってたことがあったんだけど」

 

友人「うん」

 

ぼく「そういう時って、お礼も言われないとか感謝されないとか思ってイライラしちゃったりしてたのね」

 

友人「感謝されたいよねー」

 

ぼく「でも、ふと気がついて、感謝されたいとか思わなくなったら、なんかすごく満たされた気になったし、たまに感謝されるだけですごく嬉しくなった」

 

友人「たしかに。感謝されたいと思うと、感謝されてない今を引き寄せるから、満たされないってことだね」

 

ぼく「そうだそうだ。感謝されたいと思わないってことは、感謝がもう自分に満ちてるってことだから、不足がない幸せな自分でいられる」

 

友人「いいね」

 

ぼく「だからあれだね、お金持ちになるには、まず見返りを求めずに与えなきゃだね」

 

友人「お金持ちになるってリターンを考えてもダメかもだけどね」

 

ぼく「あ、そうだった」

 

ぼく、友人「与えよう

 

抹茶好きが伊藤園の振ってつくる抹茶グリーンティーを飲んだら、予想と全然違った味だったけどおいしかった。

日本最大級のお茶メーカー伊藤園さんが出している、振ってつくる抹茶グリーンティーを飲んでみました。

 

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というのも、早起きしてバイトに行かなければいけない日が続いて、午後に眠気が襲ってきてしまうので、なんとかして目をスッキリさせたいなあと思っていたからです。

 

個人的にレッドブルとか、モンスターは、カフェインが一気にガッときていかにも寿命を燃焼して今に持ってきている感じがするから苦手なのです。

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いつもは目を覚ましたい時は抹茶を自分で点てて飲んでいるのですが、外ではなかなか点てるのも難しいので、今は持ってきていません。そうは言っても抹茶には信頼を置いているので、職場の近くの自販機で見つけたこの抹茶グリーンティーを買ってしまいました。

 

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作り方はこんな感じで
 
1,キャップを開けると、キャップの中に入っていた抹茶が水に落ちる。
2,思いっきり振る
 
という単純明快なシステムです。
 
抹茶って、お湯と冷水(氷水レベルの冷たさ)じゃないと泡が立たないので、きっと、水に溶けやすいようにの抹茶を使っていて普段飲んでいる抹茶とは全然味わいが違うんだろうなーと思っていました。
 
ほんのり甘いと書いてあるので、甘めの抹茶を使っているのだろうと。
 
お茶は、基本的に、高級なものになると甘くて、安物だと苦いので、きっと特別に高級な抹茶を使っているのかもしれない。と。
 
飲んでみたところ
 
あまーーーーーーーい!!!!!
 
ふつうに抹茶ジュースでした。砂糖が入っている!!!!
 
びっくりしましたが、味はふつうにおいしい。
 
抹茶というか、グリーンティーという飲み物なんですね。
 
アーケード街のお茶屋さんの店頭で売っていますよ!と教えて頂きまして、これを飲むのも結構いいかもしれないと思い、次に見かけたら買ってしまいそうです。
 

 
 
 

和の心とはなにかについて考えてみた。

茶道をしていると、ひんぱんに耳にしたり口にしたりする、「和の心」や「和の精神」と呼ばれる感覚について、言語化できるように考えてみました。

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和の文化とは

和の文化と聞いたときになにをイメージするだろうか。
 
和菓子、和服、日本庭園、お囃子、神輿、風鈴。そんなものをイメージするかもしれない。それはつまり「和」という言葉に対して「日本的である」「日本独特の文化である」という認識を持っているということだ。
 
しかし考えてみれば「和」には他にもたくさんの使い方がある。
 
「人の和」と言えば人と人との繋がりがある状態だし、「平和」とは戦争のない穏やかな状態や、人と人との仲が良い状態を指す。
 
もしくは敵対していたのを「和解」したり、緊張している気持ちを、「和ませ」たり、というようにも使われる。
 
また、野菜の「和え物」と言うように「和える」といって、異質なもの同士を混ぜ合わせ、なじませるという意味がある。調えて和えれば「調和」それぞれがなじんでいることを調和がとれていると言う
 
これらが意味している共通の意味はなんだろうか。
 
 
「異質なものを尊重し、優しく受け入れ、ふさわしいつながりを持つ」というような意味ではないだろうか。
 

人と人の和

 
忘れがちではあるが、日本人同士であれど別個の人間の集まりであるため、異質な存在だ。
 
同じ言語や文化や時間や空間を共有しているかのように思えても、価値観や立場などの違いから、感じるものは人によってはまったく異なる。
 
以前に台湾に旅行に行って、日本語が通じず、英語やジェスチャーでコミュニケーションをとった時に感じたのは、外国人同士として異なる文化や言語を持っていても意思の疎通ができるというのと同時に、日本人同士で似たような見た目をしていて、外面的には共通しているように思える言語を使用しているからと言って意思の疎通が完全に可能であるとは限らないということだった。
 
 
聖徳太子は「17条の憲法」の一番初めに「和を持って貴しとなす」と書いている。「和こそが最も尊い」という意味だ。
 
そしてこの「和」を考えるために引用したいのが金子みすゞの「みんな違ってみんないい」という詩だ。
 
つまり、そもそもから「みんな違う」という理解の上で、その「みんな違う」状況からスタートして、それぞれのよいところを引き立て合い、どうにかより良い関係を築き、より良い未来へ向かっていくかという姿勢が「和」には含まれているのではないだろうか。
 

千利休の和敬清寂の「和」

茶道を大成した千利休の残したとされる言葉に四規七則というルールがあり.そのうちの四規の部分が「和敬清寂(わけいせいじゃく)」となっている。茶道を習う者がまず最初に学ぶ言葉だ。
 
四文字のうち、一番初めに「和」が来ていることからも何よりも初めに重視すべきは和であると説いていると読み取れる。
 
茶席で大切なのは、一番は人と人との和、心の和。
 
おもてなしの精神は、自分とは価値観や趣味嗜好が異なる客を主体的に喜ばせる精神であり、それは異質な他人への理解の姿勢がなければできないことだ。
 
また、人と物の和も大切だ。人と物との距離であったり、視覚的な感覚に訴える色味であったり、人の五感に影響を与える物と、影響を与えられる人との関係に意識を配らなければならない。
 
そして、物と物との和。どの物と物の取り合わせ、組み合わせがそれぞれを一番引き立たせることができるか配慮する必要がある。
 

結論

異なる人や物が同じ空間に集まり、それぞれの良さを引き立て合いながら、より良い空間や時間をつくりあげるという一つの目的を達成するのに必要な姿勢が「和の心」である。
 
以上!
 
なんだか自分の中で整理しながらだったので、堅苦しい文章になってしまって反省したいところ。。
 
論文じゃないんだから、と自己ツッコミをして終わりにします。
 
ありがとうございました!