言葉を武器に。

就職活動をした時に自分の考えたこと、行動した意味、結果を論理的に話せる人と、話せない人がいて、世の中からは、論理的に話せる人のほうが評価されやすいことを学んだ。

 

「自分が考えたことであれば、一から十までの順を追って話せるでしょう」という理屈で、経験したことを話せない人は、自分で考えていない、経験していないというレッテルを貼られていた。

 

ただ、言葉では説明できないけれど、確かな確信があって行動した人もいると思うのだ。

 

僕はどちらかと言うとそういう感覚型の人間で、友人からは、良く言えば無邪気、悪く言えば子供っぽいところがあるという評価をされることがある。自分を振り返ってみても納得せざるを得ない。

 

感覚でものごとを決める人間の場合、周りからの評価は不安定になりがちで、信頼に欠けるところがある。なぜならば、目標に至るまでの過程が見えづらいからだ。

 

細部に渡るまで言語化できるというのは、目標に向かって確実なステップが見えているという印象を与えることができる。まずはなにをして、状況がこう変わるから次はこうする。この場合はこう。きちんとシュミレーションできているのであれば、信頼に値する。

 

また、過去のことを論理的に言語化できることは、成功の理由や失敗の理由が自分の中で明確になっているということでもある。

 

しかし、中には、実行していないのに言葉を操るは長けているという人もいなくはない。

 

実際、その人が行動している場面を見ていない面接官にとっては、語られるものが全てであるからだ。もちろん、言葉がよければ騙すことができるというわけではなく、その語られる言葉に実感がこもっているか、心がこもっているかというのも見られているだろうが。

 

思っていても、考えていても、それが表に現れなければ、人には伝わらない。

 

表に現れるというのは言葉だけではなく、行動や、雰囲気、立ち居振る舞いといったところも考慮する必要はあるが、言葉は重要である。

 

言葉は目に見えないものに、形を与える。

 

経験や想い、過去や未来さえも言葉は創ることができる。

 

言葉を武器に。